考える水草

「考える水草」主宰:水沼佑太の冒険の記録

200円移住のはじまり

大学に入学し、日本各地で農村地域の研究や農業実習を行う農村調査部に入部した。

私は愛媛県伊方越集落で幼少期を過ごし、小学生の頃から集落人口が減るのを目の当たりにしていた。この集落をどうにかしたいと思い農村調査部で何かヒントを得られるのではないかと考えた。

 

日本各地の農村に行き、農業技術や農業に向き合う姿勢・考え、なぜ限界集落と言われている地域で住み続けているのかについて、寝食を共にし暮らし方を学びたいと思っていた。入部当初から卒業まで一番お世話になったのが福島県南相馬市小高町だった。

 

震災で、大好きな小高の農家さんたちが、全員、各地に散り散りになった。悲しかった。今後も小高を故郷のように訪ねたいと思っていた。毎年夏に行なっていた地域の人たちとのBBQが楽しみだった。大切な皆さんと話し合えていたはずの時間が消えた。震災や東北電力の事故に悔しさを覚えた。無しにはしたくなかった。小高と東北の力になりたかった。しかし、放射能の不安もあり福島原発半径30km圏内に行く勇気はなかった。

 

卒業間近。進路を考えていた。 震災後社会に不安と疑念を持っていた。このままみんなと同じように企業に就職して目の前の仕事に取り組むのが良いとは思わなかった。自分だけが楽しく美味しい暮らしは選択肢から消えた。そもそもスーツ姿は動きにくいだろうと思っていた。今こそ社会の転換期で新しい生き方にチャレンジする機会とも思うようにもなった。震災を悲しんでいる場合ではない。自分自身や東北の人の悲しみを払拭することを優先した。そして今までの社会の流れとは変えて新しい形で自由に暮らすことを決断した。

 

大学入学当初から、卒業後は自然豊かなところに住みたいと思っていた。どこでもよかった。しかし震災後は、できるだけ離散した小高の各農家さんを訪ねやすい距離のところ、放射能の影響が少ないところを条件に考えた。雪国にも興味があった。

 

友人から東京で開かれている移住フェアに誘われたが用事があって断った。友人に「俺に合いそうなところがあったらパンフレットもらってきて〜」と気楽に言っておいた。彼は律儀にオススメパンフレットを5つ持ってきてくれた。「佑太にあいそーな自治体あったよ〜。担当者の人も話が合いそう」と教えてくれた。パンフレットの中で一番ピンときたのが山形県朝日町だった。